運という不思議

私は旅行業界に53年間いました。旅行がまだ贅沢だと思われていた時から10年前までです。

今回のコロナは旅行業界にとって致命的なほどの痛手でした。特に海外旅行や訪日旅行は取り扱いがゼロになるほどの影響です。

担当部長は余程運が悪いのでしょう。でもこれほどはっきりすると運不運を超えています。今は円安ですが普通なら海外旅行は減少し、訪日旅行は増加します。一度円安になると数年続きます。その意味では普通の事となりますが、1ドル80円から130円になったり、130円が80円になったりするとその時の担当部長は付きの有る無しに分かれます。一度だけならツキがないで済みますが、二度続くと運の有る無しになります。長い間その世界にいると運は大事です。運のいい人は一度だけでなく何度も続き、無い人も何度か続くからです。為替だけでなく旅行は航空事故や紛争などの社会不安で大きく上下します。震災なども同じです。

私は天気に付いています。きっかけは船を貸し切り東京から阿波踊りを見に行くツアーを企画し実施した時です。発表と同時に申し込みが殺到し1000人以上となり、やむをえずピストンで二便としました。しかし航海は低気圧で木の葉のように揺れ、徳島は大雨で阿波踊りは中止。船は東京に帰れず、二便は中止となりました。まさに悪い運の頂点にありました。

その3年後私は「赤い風船」の立ち上げを担当し、シンボルツアーとして、復帰間もなかった小笠原に大型船を貸し切ったツアーを8便企画しました。この年台風の当たり年で常時小笠原周辺に台風が発生しました。しかし船が出るころになると台風が航路から遠ざかるのです。結果は全便好天に恵まれました。不思議に感じました。それ以降、大事な行事、旅行、ゴルフ、イベントで雨に降られることが無くなりました。そのことは今も続いていますから60年間続いていることになります。私はそのことを内緒にしていました。言えばそれを機にツキが無くなると思ったからです。最初に話したのは高校の同期でのゴルフコンペです。それから20年ほど経ちましたから、もういいでしょう。天気だけではありません。すべての事です。私が「赤い風船」の立ち上げを担当した時、上司が一言アドバイスするとして次のようなことを話してくれました。

「立ち上げの企画のすべてはお前に任す。販売は俺に任せばいい」「物事を成功させるには、時の運、地の利、天の助けが必要。君には時の運と地の利はある。課題は天の助けだ」

上司は阿波踊りの事を知っていました。「天の助けはどうすればいいですか」答えは「人事を尽くす。これ以外にない」でした。思い出しても不思議な問答でした。

上司は添乗中イスラエルでテロにより命を落としました。残念でした。私は自営の旅行会社がピンチの時イスラエルからの訪日旅行で助けられました。不思議な縁と思いますし、何らかのつながりを感じています。


この絵は友人の句に合わせて書いた絵です。

晩年のある日沖行く鯨かな

中島勝彦(嵯峨野高嶺集同人)



 

益田富治