対話

ある中年の女性は、2020年7月から始めた福祉施設でのパート仲間だ。

気さくで明るく丁寧に仕事を教えてくれた。体型は丸く、髪も短くて清潔感があった。

僕は7時30分すぎにアパートを出て、8時30分から施設に勤務して朝食の片付けをするのが常だった。

彼女は10時半から合流し、大抵シーツの交換作業を一緒にした。

時には世間話をしながらお互いのことを少しずつ知り合い、あるいは利用者や施設の小言を言ったりして、退屈な作業の気を紛らわせた。

ある時「あなたはいいね、周りの声が聞こえないから」と言われて、僕はどんな反応をすべきか戸惑い、後から少し怒りが湧いてくるような気もした。

たとえ心の中では、少なくともこの場所では何も聞こえないより聞こえた方がマシだ。と思っていたとしても、それを口に出すことはなかったしそんな勇気もない。

そんなふうに日々が過ぎていってかなりの時間がたった頃にはお互いのことについてもさまざまなことを話すようになった。

そして突然彼女は「実は私にも障害のある子供がいる」と言い、ダウン症であることと日々の生活の大変さを僕に吐露した。

中学生になる彼女の娘は母親の影響でアイドルが好きになり、不器用で、学校の支援学級で学び、今年から娘の障害に対して理解のない教師に変わってしまったと言った。

それを聞いた僕もまた自分のことを少しだけ深く話し始めるようになった。


ある日数人と食事にいくことになり、施設の正社員であり、その土地で生まれ育った中年の男性の勧めの店に行った。

知り合ってから半年以上も経って初めてマスクを外したお互いの素顔をまじまじと見る、そんな奇妙な儀式を経て彼女はお酒を次々に飲み始め、いつもよりさらに生活の不満を僕らに漏らし始めた。

そして独身の正社員男性の生活を羨ましがり、また僕の耳の不能を羨んだ。

母親と同居する私の親の年齢にほど近い中年男性の生活が、僕にはとても羨ましいものとは思えず「でも(彼の名前)さんも大変だと思いますよ」と中年男性を盾にしたら、彼はお前に分かられてもなあという顔をして僕の肩を笑いながらポンと叩いた。彼女は黙ったまま酒をあおり、何を考えているのかわからなかった。だが概ねこの食事は楽しいものとして記憶に残っている。


一年が経つころ、僕は退職しようとしていた。

その頃には彼女との対話も少し平行線になり、持っている知識を少しながら教えあったりした程度だった。

そういった話から社会への不満の話になるのがいつものことだった。

その中で時たま、「この土地は生きにくい」というようなドキッとする言葉を言っていたのが印象に残っている。

勤務の最後の週にいつものようにそんな流れで話しているうちに、少しずつ彼女は自分の娘のこれからを心底心配しているような様子を見せて、中学生の娘の困難を自分が変わってやりたいとでもいうように「みんな、ここがあるのにね。ここ、ここ」と胸を叩きながら横を歩いて、僕の目をじっと覗き込む彼女の姿を忘れることはできない。

そしてあなたは普通だと何度も言ってくるのをただ自分の娘と比べていただけだとしても、その目線がいかに守るべきものであるか特にいうこともない。


M