Bronte Express

1986年の2月8日、猛吹雪の中成田から真夏のシドニー·オーストラリアへと私はカンタス航空で飛び立った。

その時すでに30歳で、裕福な家庭で育ったわけでもなく頭脳明晰でもない私が行くところはシドニー市内の語学学校だった。

計画を立て、貯金のすべてを1年間の留学費用にあてるのに5年もかかってしまった。それでも当時のシドニーは物価が安く、

有名なボンダイビーチの見渡せるアパートの家賃は当時の日本円で月4万円弱だった。

メロンは一個100円、オージービーフは1㎏450円くらいで買えた。

今は信じられないほどの物価高になっているが80年代後半のオーストラリアは生活しやすい時代だった。


シドニーに到着して2週間くらいたったころ、友人とブロンテビーチといってボンダイビーチと同じくらい有名なビーチの白い砂浜の波打ち際で遊んでいた。シドニーのビーチでは旗と旗が立っている間でしか泳げないことになっている。

しばらく波と戯れていて後ろを振り返って愕然とした。砂浜ははるか遠くにあるではないか。

しまったと思い浜に向かおうとするのだが、大きな波が背後からたたきつけ益々沖へと引っ張られていくのがわかった。

もう死ぬな、葬式はどうなるのだろう、親に申し訳ないな、などと思ったのをはっきりを覚えている。

その時、現地の友人からライフセーバーという人達が監視をしているので、おぼれそうになったら手を上げると良い、

と言っていたのを思い出した。片手を思いっきり振り上げた。その瞬間、2人の男性が海に飛び込みものすごい速さで私に向かい始めているのが見えた。1分くらいで私を助けにきてくれた。

紐のついた発砲スチロールを私に腰に巻き付け、そのライフセーバと私は白い紐でつながり、もう一人は私の後から泳いできてくれた。

途中、その人から「後ろ足を少しはばたつかせて欲しいんだけど」と文句を言われたが、無事に浜辺にたどりつき私は恥ずかしさで十分なお礼も言えず そそくさとその場所を何事もなかったように足早に立ち去った。


後にオーストラリアの友人から「無礼者、助けられた人は感謝のしるしとしてライフセーバーにキスをすることがしきたりなんだよ」

と言われ私はずっと自分の非礼を恥じていた。

後になって、そのことを話したらその場にいた人達から「そんなの冗談に決まっているでしょう!」と大笑いされた。

あの時助けてくれたライフセーバーも私と同じ高齢者になっているはずだと思う。

この先、彼らとの邂逅はないと思うが良い人生を送って欲しいと心から願う。


NK